虹のきれはし

虹架ちゃんはいいねがほしい(本当に?)

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Twitterで、10フォロワーに感謝した絵描きがそのツイートをバズらせ、一気に2万フォローまで到達した話を見ました。
嫉妬してる人が結構いるみたいです。

私にもいいねやフォロワーが欲しいという気持ちはあります。
でも、「なんで評価されたらうれしいのか?」について、あまり考えたことがなかったので、掘り下げてみようと思います。

数字について考える

評価の中にもいいね、フォロー、感想などいろいろあると思います。まず今回では感想を除外し「単体では数字のように見えるもの」について話すことにします。
たまに私は長文の感想が欲しいと言ってますが「あ~ヤンデレに好かれて人生めちゃくちゃになりて~~」みたいな妄言の比率が高いので、今回は無視します。真面目な話をします。
いや、真面目にヤンデレファンに好かれてミザリーみたいな大惨事は起こしてみたいのですが(破滅願望か?)

話が逸れました。
数字についてなのですが、数字って直接何かになるわけではないと思います。
増やすのも簡単です。
試しに自分が何を話しても万バズするところを想像してみます……。 西村虹架のツイート風イラスト。「うんこなう」というツイートに1おくや100おくの反応がある。 えー、これ。
個人差はあるかもしれませんが、私はあんまりうれしくないです。
ていうかこれは炎上では?

うれしさとは何か

うれしいときというのは、自分がすごい出来がいい!と思ったものをいいねされたときに生まれます。(私の場合です)
いいねがつけばつくほど「n人の人間が良さをわかってくれた!」と好意的に解釈するのです。
フォローもだいたい同じです。それが調子のいい時の自分であるというところが違うだけです。
だから、微妙なものを作った自覚があるときに伸びても、そんなにうれしくありません、「うんこなう」とか1億人に見られても恥が増えるだけですね。
(たまには「自分の気づいてない良さを他の人が見出した」こともあるかもしれませんが)

そもそもいいねは必要なのか

言いたかったことがそろそろ言えそうです。
いいねなんて本当に大事なのかという話です。

この「虹のきれはし」Webサイトは、そんなに来客も多くないと思います。というか制作当時は虚無に近かったはずです。
このサイトはいいねされるために生まれたものではありません。でも、作っていて楽しかったし、「閲覧数が回らないよ~」と病んでることもありません。
それは作ることそのものや、自分自身で完成品を楽しむことで満たされたからなんじゃないかなと思います。
自己満足してれば他人の評価なんていらないんです。極論ですが。
問題は自己満足するのは意外と難しいことです。自分が本当にしたいことというのを掴むのは難しいのです。

幼児がはみがきがんばってえらいねって親に言われるとうれしいとして、はみがきが楽しいことじゃないからほめられが必要なことはわかりやすいと思います。
でもなぜか「俺ははみがきが好きだ!!」と勘違いしてしまっている時というのがあるのです、少なくとも私には。

いいねが欲しいならアレすればいいじゃん

時々、いいね欲しさに人気キャラの絵を描こうかなと魔が差すことがあります。

最近の私はあまり二次創作をしません。
それは自分の中で「本当に愛しているものでないと描いちゃいけない」みたいな気持ちが強くあるからです。
ただ、だいたいの作品に対して100%愛するというのは難しいことです。だからそれは強すぎる縛りだとも思うのですが……とにかく二次創作はあんまりしません。
前回の記事で「フリゲの絵を100枚描きたい」とか言ってましたが、本当に自分が踏み切っていいのかは悩んでいます。

とにかく、そういうモヤモヤした状態でいいねももらえそうだからと絵を描くのはいいことがないと思います。
だから今後も「そのとき描きたいもの」を描くつもりです。

でも結局

ほめられたらうれしい!!ほめて!!
このサイトにいいねボタンはないけど感想を送れるフォームはあります。
そして長文ヤンデレメッセージを書いて、あなたは私とミザリーしましょう。(最悪)
画伯ちゃんがいいねをイメージした大きなハートを持っているイラスト。背景にも小さなハートが舞っている。

ちなみにミザリーは読んだことないです。ないんかい。

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